モリンホール(馬頭琴) Yilanaさん







モリンホール(馬頭琴)奏者イラナ(YILANA)さんがゲスト。



中国の内モンゴル自治区東部に広がるホルチン地方の大草原のなかで育ち、

幼い頃は遊牧民族とともに暮らす。

見渡す限り、大地の緑と青空しかないところで過ごしたんだそう!ステキ☆




母はモンゴル地方の伝統舞踊の踊り手。

姉はモンゴル民謡の舞踏家で日本で歌手デビューも。

叔母のオドバルはモンゴル族の有名な歌手で

モンゴル人初!日本で紅白歌合戦に出演も果たれている。


そんなモンゴル民族の音楽文化の血を受け継いだ環境のなかで、

「どうせやるならモンゴルの伝統楽器を」と父からもらった馬頭琴を6歳から始め、

女性奏者がほとんどいなかった馬頭琴奏者のなかで頭角をあらわす。




モリンホールは「馬の楽器」という意味で、

棹の先端部分に馬の彫刻がほどこされている。

ボディは台形。2本の弦を弓で弾く擦弦楽器

しか~し、一見2本の弦にみえるのけど

実は300本!!もの細い弦が束ねられできている。

昔は馬の尾毛でつくられていたんだそう。

厚みのある安定した音は柔らかくて土臭くてあたたかい。

ノイズまじりなのもアナログっぽくて癒される。

その音色から「草原のチェロ」といわれ、動物も癒すといわれている。



イラナさんはモリンホールの他にも

オルティンドーという2004年に無形文化遺産に認定された

モンゴルに伝わる歌唱法を会得

なんと!!モリンホールとオルティンドー

両方をパフォーマンスできる世界で唯一の人!!!




「山の向こうの人に声を届けるキモチで歌うんです」



身体を凛とした澄んだ風がつきぬけていくような美しい声。

涙がでた。


地平線いっぱい大草原がひろがる自然のなかで培われた声。

耳で聞く”声”という存在を遥かに超えた

全身をつきぬけていく力強いバイブレーション。

身体がなくなり、自然の一部になったように感じた。



モンゴルの大自然が目の前に広がる。

あ~いきたい!!

「ぜひモンゴルに来るときは家に遊びに泊まりにきてください」

なんて言ってもらっちゃってますます。




モンゴルの風を連れてきてくれたイラナさん、

LOVE ROCKにも出演してくれることになりました!!

じっくり遊牧生活のお話もうかがおうと思います♪


奄美島唄 朝崎郁恵さん 2


2010年5月25日
吉祥寺CLUB SEATAで行われた
朝崎郁恵さんがご出演されるということで行ってきました。

今回はNHKドラマ「篤姫」の音楽を担当された
吉俣良さん とコラボレーション!
ライブ前にお二人にお話をうかがいました。

(吉俣良さん・朝崎郁恵さん・私)

吉俣さんがホテルで「篤姫」の作曲をしていて煮詰まったとき、
朝崎郁恵さんのCDに出会い、唄声を聞いた瞬間涙があふれ出たんだそう。
そのとき湧き上がるように産まれた曲が「篤姫」のなかでも印象的だった
吉俣さんのお祖母ちゃまにむけて書いた「良し」という作品。

「良し」UAが歌詞をつけ「阿母(あんま)」が誕生した。
阿母(あんま)とは奄美でお母さんやお祖母さんを親しみこめて言う言葉。
波の音だけにのせて朝崎さんが唄っているシマクチバージョンもあるんだそう。

楽譜のない島唄と西洋楽器のピアノが共演することについて
「私と一緒に演奏する人は大変だと思う。」
とひかえめにおっしゃる朝崎さんに対し、
「朝崎さんは”歌いたいように歌う”ってことが
人に対しものすごく説得力がある。
神様に唄わされているような・・・。
”唄をうたうってこういうことなんだ”と
体現してくれた、再認識させられたのが朝崎さんの唄。」
と、吉俣さん。


リハーサルすることも楽しいと感じるほど
朝崎さんの唄の心からファンだとおっしゃってました。
そして、傍にいて、演奏を聴いてそれがとても伝わりました。

お二人のおっしゃるようにまるで”おばあちゃまと孫”をみているかのような
気のあったお二人の演奏は、まるで語りかけに応えるようであたたかったです。


実は「阿母」は受け入れ難い真実をゆっくり受け入れ、
ご冥福を祈る想いが渦巻く余韻のなか唄われました。

耳を疑うような知られざる歴史の真実。
想像できないほどの悲しみがそこに。

三味線もピアノもなく独唱で伝えられた
その唄とは



「嘉義丸(カギマル)のうた」
 
太平洋戦争中1943年5月26日。
大阪から那覇に向かう貨客船「嘉義丸」が米軍の魚雷攻撃にあい海に沈没。
幼児から老人まで321人、船員20人がその犠牲となった。
  
当時鍼灸師で三味線の名手だった朝崎さんの父、辰恕さんが、
治療に通っていた生存者福田マシさんと出会い、
この胸をえぐるような悲しい体験に胸を痛め、歌にされた。
この鎮魂歌「嘉義丸のうた」は奄美で広まったものの
戦中、戦後とも戦局の不利を伝えるとして当局から唄うことを禁じ、
戦後も統治国米国への配慮から禁じられた。
そして、遺族は嘆き悲しむことさえひかえめにしなければならなかった。

この事実が語られたあと、唄がはじまった。

そこには平穏だった船旅が一気に地獄化し、
爆撃にあった船のなかで逃げまどう人たち、
子を探す親、親を探す子の姿、
海に放たれ藁をも縋る想いで我が子と思って抱き上げた流木で
命が絶える瞬間まで子を想う親のすさまじいほどの痛みがあった。

67年たった翌日5月26日は嘉義丸が沈没した慰霊の日。

唄うことが禁止されながらもこの唄の存在は
どれだけ多くの人の心に寄り添い励ましてきたんだろう。
島唄の本質を目の当たりにしたような気持ちだった。

この唄は本土の言葉で唄われている。
島唄は基本的に奄美の方言で唄われるが、
きっと多くの人にこの事実が、痛みが届き、
平和への想いが繋がっていくようにという
辰恕さんの想いが込めれているんだろう。

その願いは娘、朝崎郁恵さんによって
歌い継がれ、今も遺族の心を癒している。

奄美島唄 朝崎郁恵さん 1


(小林栄子さん・朝崎郁恵さん・私)


LOVE ROCK~human vibration
第一回目のゲスト朝崎郁恵さん
3年ぶりに登場~!!


今回は朝崎さんの衣装を長年担当されている
アジアの風21の小林栄子さん
と来てくださいました。
小林さんはアンティークの着物をドレスに仕立て、世界中でショーを開催し
日本と世界を繫ぐ架け橋となっていらっしゃいます。
私もルワンダ国際交流イベントの際の衣装でお世話になりました。

「ウガミショレー。」
「拝み候」が語源の相手を敬う最上級のご挨拶で登場してくださった。
又こうしてお話をうかがえて本当に嬉しい。深く感謝します。

3年前に奄美大島の加計呂麻島の島唄についてうかがったことを
振り返りつつ、改めて島唄と共に生きてこられた足取りを辿らせて頂いた。


島唄の研究に情熱を注いでらっしゃったお父様、辰恕(たつじょ)氏の影響で
幼い頃から島唄を口ずさんでいた。
家の中はいつも三味線と唄であふれていた。


10代の頃、福島幸義(ふくしまこうぎ)先生と共に村中を練り歩き島唄を唄って回る。
戦後当時、唄ってもらえる黒砂糖などの甘いお菓子が 幼心にとても楽しみだった。


(1960年製作の映画「エラブの海」では18歳の朝崎さんの歌声がきけます)


島唄には楽譜がなく口伝のため、先生が唄っているのを聞き自然と覚えた。
方言まじりの島唄、歌詞すべての意味を理解するのにかなりの時間を要した。


「30代まで深くはわかってなかった。
50代でもっとより深く知りたいと思った。
70代でようやく言葉の深い意味がわかった。」


人の深い心情を唄った島唄。
その歌詞の意味を言葉で説明するのは簡単ではない。
それを出来るだけわかりやすい言葉で伝えようとされている。


たとえば「おぼくり」という曲の唄い始め”あらやしき”とは
神様と人の心が繋がる心の奥の奥の奥深いところと。





「私の歌っているのは神唄」


神唄は本来カミニンジョウといわれる
神降ろしをして唄う人によってのみ唄われていた。

秋の収穫の際に村中の家から一合づつお米を集め、
トネヤといわれるご神事を行う祭事場で
お神酒をつくる。
神迎えの唄を唄い、お神酒ができたら
神送りの唄を唄い、できあがったお神酒を各家にふるまう。


今はカミニンジョウと呼ばれる人はおらず、
神唄を唄える人もいなくなってしまったけれど、
祭事場のすぐ傍に家があった朝崎さんはいつも、
神唄をまねて口ずさみながら妹さんとままごとをしていた。
身体のなかに、魂に、しっかりと
神唄は刻まれている。

「唄はご先祖さんからの授かりもの。
無駄にしては罰があたる。
体力、気力がつづくかぎり
生きている限りの
一日一年が
私にとってはとても大切なんです。
島唄は私の命そのもの。

伝えるために出来ることは何でもしたい。」


生活のなかから自然と産まれてきた島唄は
素朴で純粋そのもの。
大自然を目の前に人が心を揺さぶられ、
自然と謙虚な想いになるように
朝崎さんの唄も理由のない感動が心の奥から湧きあがる。
純粋な唄は人を動かし、人をつなげる、
そして人と神とをつなげる。



島唄を歌うことを虐げられたときもあった。
今やっと受け入れてもらえる時代になった。
生きている限り島唄のこころを届け、
お弟子さんたちにこの想いを繫げていく。
3年前と変わらない島唄を愛する朝崎郁恵さんの姿がそこにあった。



中国古筝 鶯と燕 

FM FUJI「STADIUM ROCK」に登場してくれた
鶯(Ying)と燕(Yan)の二人が
お台場にも遊びにきてくれました。

今回も色違いのワンピースに髪型も揃えて
そっくり!どっちがどっちかわからない(苦笑)
それにしても本当に華麗だわ~。
二人がいるだけで場がぱ~っと明るくなるもんな。

ピースポーズの首の角度も同じ!
すご~い♪♪♪
お台場ということで、あらゆる国の観光客の方々が
二人の蝶が舞っているような可憐な演奏に
思わず足を止めてうっとり釘付け。

日本から世界に古筝という楽器を広めていきたい。
そのひたむきな想いが音色となって
たくさんの人の心に響いていく。
 
たくましく華やかに
ふんわりと包み込んでくれる
鶯と燕の歌・舞・古筝、
新風が舞い込んでくるよ。

お散歩

カルミアにはっとさせられる。
金平糖のような蕾がかわいい
紅色もキレイ。野いちごみた~い。
カルミアはつつじ科の園芸種なんだそう。
つつじに続いてあじさいの季節到来。
山 あじさいは今から咲くんだね。

花の様子が知りたくて又でかけてしまうんだな。

indigo blue

indigo blueRinaさんとKouさんがゲスト。

最近よくお散歩をされているというお二人。
「Walk On」聞きながらWalk Onしたらきもちいい季節だね♪♪♪
痛みも弱さも受け入れて力強く前に進んでいける作品。
部屋で聞いていると素直な心と向き合えます。

6月のindigo blueのワンマンライブは飲みながら楽しめるんだって♪
気持ちよすぎてついついすすんでしまいそうだね・・・。
Kouさん、ご自身のブログで紹介されてたお蕎麦屋さんのトイレに張ってあった
「親父の小言」のなかで”大酒は飲むな”が胸に刺さったって言ってはった。
じゃあ、いっか。みんなで酔えば。(笑)

これを機会にTwitterでフォローしあいっこ♪
キモチいい旅をありがとうございました~!!

グリオのサバール奏者 Assane Diabayeさん

西アフリカ・セネガルの伝承音楽家グリオの家系に生まれた
サバール奏者Assane Diabaye(アッサン・ヂャバイ)さんをお迎えしました。

アフリカ人類生誕700万年をお祝いするPUMAのセレブレーションパーティの時
出演していたジェンベ奏者のLatyrに「僕のお兄さんです!」と紹介してもらった。

日本に来たばかりでまだ何もわからなかった時Latyrと仲良くなり、
Latyrがリードするバンド
AFRICA SUNU XELCOM(”イスラム教の街”という意味なんだそう)
で現在活躍中!!
セレブレーションパーティでも血が騒ぎ魂が震えるような
素晴らしいステージをみせてくれました。



Assane Diabayeさん

グリオの家系の10人家族、8人兄弟の長男として生まれ、
8歳から楽器を始める。
勉強と両立するのが難しかったけど
グリオの長男としての責任があった。

グリオとは文字をもたなかった時代
王様に遣え、歴史や
叡智や教訓を唄で伝えてきた人たち。
「一人のグリオが死ねば、一つの図書館が焼けたようなものだ。」
と例えられるのをきいたことがあった。
叡智は口伝で受け継がれていく。
そんな音楽伝承する家系をグリオと呼ぶ。

・・・と思っていたのですが、
なんとセネガルにはいろんなグリオがいるそうで
楽器、唄、アクセサリー、ブレイズ・・・
あらゆる伝統工芸、
職人の知恵や技術が受け継がれているんだそう。


唄とサバールのグリオファミリーに生まれたAssaneさんは
後継ぎとして唄と楽器を学んだ。
まさにBORN TO SING!!
父が楽器を教え、祖母が唄を教えてくれた。
幼い兄弟たちも朝から夜まで太鼓をたたいていた。
家にはサバールなどの太鼓がたくさんあって、
朝から音が鳴りっぱなしだった。


サバール(sabar)はセネガル独特の固有の楽器!!

穀物をつくための臼からヒントを得たという長い木の筒に
ヤギの皮が張ってあり、棒と手で叩く。
王様に遣えていた時代メッセージをつたえるときに使用し
グリオにしか使用が許されていなかった。
ジェンベよりも歴史が長く、ブンブンともいわれる。
丸太をくりぬいた筒状の木のボディに
チューニングするためのコルクのような棒が7つはめこまれている。



(人や像の彫刻が施されていてカワイイ♪)

サバールというと、「太鼓の神様」といわれ人間国宝である
Doudou N'Diaye Roseのライブの衝撃が記憶にまだ新しい。
バチを高らかと振り上げ振りかざしたその瞬間、
一音で国際フォーラムのだだっぴろい会場の気がパン!!と
一気に変わったあの衝撃の体感。未だに忘れられない。


Assaneさんはグリオのファミリーに生まれて、生活のために楽器だけしかしていなかった。
そして、すごい数の唄を覚えた。いまは誰でも唄や楽器をするようになったけれど、
昔は一般の人がやるのは怪訝されていたそうだ。
立派なグリオになるために近所の人も協力してくれた。

そうしてAssaneさんは立派なグリオのサバール奏者として活動していく。

その活動は海外へと広がる。
21歳の時フランス万博で演奏。
ホテルなどで演奏し、その後スペインへ。

96年に日本にやってきた。



グリオはどんな唄を歌うのか。

すごい数の唄のなかには、雨を降らす唄、病気を治す唄などがある。
子供たちが産まれたときもグリオが名づけ、唄と太鼓で告げにいく。
生活のあらゆる大切なセレモニーにかかわってきた。
神様が喜んでくれるんじゃないかと男性が女装し、女性が男装して
パフォーマンスすることもあるんだそう。
病気を治す唄は”デップ”というリズム。
リズムはとても大切で、グリオには一人一人、 自分のオリジナルのリズムがある。
例えば、お父さんが赤坂にいて、Assaneさんが渋谷にいるとして
来てほしいと自分のリズムを叩くと伝えれることができる。
おじさんから受け継がれたAssaneを示すリズムを又後世にも伝えていく。


雨を降らす唄を唄ってくれた。
サバールの一音一音が体に響く。そして天に届く声。
音に宿る魂がの力がすごい。
本来はたくさんの人数で歌い、天に届き、本当に雨が降るんだそう。
あまりにものパワフルな音を全身にうけ体温が上昇。
聞いてしばらく放心状態だった。


私もサバールにトライ!!

バチがセネガルにしか生息しない木の棒。
とっても軽くて堅い。
ライブの時忘れて一番困るもの。
日本には変わりになるものがないんだって。
それにしても嬉しそう↓↓↓(笑)


Assaneさんは現在ライブをしながら
セネガルの文化を伝える活動をしている。

「文化は違うけど、音楽は言葉も関係なくなる。
最初日本に来たとき日本語を聞いて無理だと思ったけど、
セネガルと似てるところがあると思った。
家族や伝統を大切にするところや
毎日お米を主食としているところも。
とても居心地いい。 」とAssaneさん。

番組でLeyonaとLatyrが唄ってくれたfatu yoも唄ってくれました。
一緒に唄っているとなんとも幸せなキモチに。
この唄はほんといい!!愛の唄だ~♪
理由なく響くものは響きます。

Latyr率いるジェンベがメインのAFRICA SUNU XELCOM
Assane
率いるサバールがメインのAssane Diabaye with super santhibi
でセネガルを体感しに行ってみよう♪♪♪

なんと!大切な貴重なバチをプレゼントして下さいました!!

ありがとうございました!!!!!

神田祭

2010年5月9日神田祭。
今年も実況中継のキャスターをさせて頂きました。


平将門命奉斎700年を奉祝して行われる大神輿渡御。

今年の陰祭りの大神輿渡御は初物尽くしで、
神田明神大神輿と将門塚保存会大神輿が初のそろい踏み宮出をするのです! 
午前9時に神社を出て、大鳥居前まで並んで渡御。
7時なのに朝から境内にはたくさんの人。
本殿の前に御神輿がずらり。
正午には、将門塚で神田明神大神輿・将門塚保存会大神輿を奉安して、
初の奉幣の儀が執り行われます。
その後は途中まで並んで渡御。
さらに将門塚保存会大神輿は大神輿渡御の年では初の宮入も!!
歴史的に瞬間にたちあえるなんてドキドキです。

神田明神大神輿は平成の御造替(おぞうたい)事業完成を祝し、
神輿師・六世宮惣(ろくせい みやそう)による都内屈指の大神輿。
その大きさは、台輪(だいわ)幅4尺1寸(約125cm)、
高さは露盤(ろばん)までで7尺5寸(約227cm)。
傍でみたら迫力満点!!

こころひとつに担ぎ手の方々が参拝されたあとは感動の宮出。
担がれた瞬間まるで生きているように御神輿は大波に揺られるように宮出しました。
宮出のあとも神田明神は参拝の方でいっぱい。
この日神前式をされているカップルも!
こんな歴史的におめでたい日に挙式とはなんともラッキー♪
みていて幸せなキモチ倍増になりました。

少し暗くてみえにくいですが、この時期の神田明神の本殿裏にある藤棚はお見事!


こうやって文化が継承されていく。
祭りはその町に住む人のこころをひとつに結んできた。
祖父から孫へと半纏と共に心も受け継がれて、
世代を超えて心が繋がっていく。
きっと何百年と変わらぬこの光景があったように
何百、何千年後もその時代その時代によって変化&進化しながら
それでも変わらぬ、神様を目の前に頭を垂れる光景がみれるんだろうな。
今年はNTTコミュニケーションズによって
中継を取り入れながらインターネットTVで世界配信、
モバイルでテレビ前の人と繋がることもできた。
文化を継承しながら時代の進化をとりいれていく。
今年の初物尽くしは神田祭りの歴史を振り返っても特別な年。
この場所にいれたことがとても幸せだった。
感動の一日をありがとうございます。

ペルシャ&トルコ料理 Sabalan



自由が丘デパート2Fにオープンした
ペルシャ&トルコ料理
cafe&restaurant
Sabalan
に行ってきました。
連れてってくれたのはお台場RAINBOW STATION仲間♪
「今夜は山田」デビット・ホセイン さん
!!
彼のお友達マハメッド・アリさんのお店
(デビッドさんとアリさん)


あれ?アリさん・・・
どこかでみたことが・・・

まさかのこの方でした!(笑)


ま~いろんなお仕事をされている!!
店内にあった写真をみると、
浅田真央ちゃんとCMに出演したり、
小雪さんや竹野内豊さん、小栗旬さんら
あらゆる方々と共演されているではないか!!

詳しく聞いてみると、デビットと同じ事務所所属で
タレント活動をしながら、得意のお料理でお店を。
しかも前からレストラン経営をされてるベテランさん。
アリさん何も知らずにごめんなさいね・・・。(汗)
どおりでうまい日本語でかましてくるギャグが気質でない。


若干おやじギャグも挟みつつ(笑)
デビットにいつもお世話になっているからと
お店のオススメのお料理をたくさんだしてくれました。


「お肌ツルツルになるよ~♪」とだしてくれたのが
ザクロペーストとチキンとくるみを7~8時間!!もじっくり煮込んだ
シチュー・フェセンジュン


ザクロの酸味もくるみの苦味もなくマイルド~♪
アリさんが7~8時間かけてじっくりと注ぎこんだ愛の味


ルビアポロウ + ケバブ

スパイスのきいたチャーハンにケバブ!トルコのエフェスビールがよくあう!!

サラダオリビエはチキンもぎっしり入ったポテトサラダ。

苦手なグリンピースがとっても美味しく感じられたのは不思議!
最後にだしてくれた美肌の効果ばつぐんの
バラジャムのかかったスィートヨーグルト
香りもよくて癒される~ん。
「竹野内豊さんが飲んだカップだよ♪」とだしてくれた紅茶にも
ローズウォータが!5感をフルに満たしてもらって大満足。

店内にはトルコ&ペルシャの文化を楽しめるアイテムがもりだくさん!
そのなかで二千円札柄のペルシャ絨毯を発見!!
電話番号の数字が印刷されているそうで、
絨毯にはなんと”すかし”まで。
ペルシャ絨毯の技術の高さにうなってしまう・・・。


やはり気になったのが楽器。
こちらはダフ
アリさんお上手!!
続いて、くるみの木でつくられた羊皮のトンバク



デビッドが持つと小さく感じられるな。(笑)

お店にはダラブッカもあり、ベリーダンスのSHOWもあります!

サバランはペルシャ北部の山の名前。

イランの人の憩いの場所、みんなが癒されに集まってくる山だそうで、
そんな場所になったらという想いをこめてつけたんだそう。

自由が丘にいることを忘れてしまうほど異国の香りがして
プチ旅気分が味わえます♪

ランチもしてるし美肌対策にいかねば~!!